小説

記憶の欠片(仮題)
そこはとてつもなく広い空間だった。

かろうじて機能している己の脳が、宿主を差し置いて勝手気ままな認識をしているだけかもしれない。
だが一つだけはっきりしていることは、自分はもう元の世界とは隔離されたどこか、宇宙の果ての方まで放り投げられてしまったということ……それだけだ。

元の世界―――。

今は考えまい。
まずは体力の回復、生きるのに必要なのは記憶ではなく力だということは、まだ眠りから覚めない脳味噌にもこびりついているらしい。

冷静な自分にほんの一瞬驚いたが、と同時に「この俺様ならば当然だろう」と鼻息を荒くする自分に妙な恥ずかしさも覚えた。

時間を無駄にすべきではない。
得体の知れない何かが警鐘を鳴らしている、そう感じた男は少しずつ四肢を動かすことを試みた。

自分のカラダなのにまるで他人のもののように感覚が麻痺している。
背中に当たる地面、いや、これが地面なのか床なのか、有りえはしないが羽毛に包まれたベッドなのか、その区別すら付かない。

ふと指先に硬い物が触れた。
……石か?
まだ心もとない右手の親指と人差し指でそれを摘み上げ、なんとか顔の前に翳してみる。
「宝石……?」

呈色の人工的な球体に、金色の細い金具が取り付けてあり、針のようなその先端は、毒針と呼ぶにはやや軟弱な鋭角を見せていた。

鳩の血の色に似ている。一つの固有名詞を思い出した安心感が空腹を知らせた。腹の音が闇の中に吸い込まれた。

チッと舌打ちをしながら、男はそれが耳たぶにつける類のものだということを、ごっそり欠けてしまったであろう記憶の引き出しから、無意識に引っ張り出していた。
まるで誰かの温もりを求めるかのように、男は小指にも満たないちっぽけな石ころを、先程より感覚を取り戻しつつある指先で弄んだ。

ほんの数分前までの思考を遡った。

元の世界とは一体なんだ?
何が起こった……?いや、その前に俺は、俺は誰だ?何者なんだ?

濃い靄がかかっていた視界が開けていくごとに、自分が置かれている異常な環境を目の当たりにした男は空腹を越えた胃のむかつきを覚えた。

漆黒の闇―――。

記憶も無い癖に冷静沈着を自負する男は狼狽した。

「なんだこれは……てっきりゴツゴツした岩場だとばかり…」

言葉を発してみて、これが自分の声なのか、と男は喉を詰まらせた。

どうなってやがる……。

どうやらここには床も天井も壁らしきものも、地面さえも無いようだ。
無の空間。
そう理解してからの男の行動は素早かった。
自分には飛行技術がある、それは感覚でわかった。

帰る?何処へ?いくら目を凝らしてみても慣れることのない、暗闇なんて形容ではとても足りないえげつない程の闇。
どちらへ向かえばいいのかまったく見当もつかない。
例え辿り着いたとしてもその先に何が待ち構えているのかも。

だがそれも数秒のことだった。男はありもしない地面を蹴り上げるように飛び立った。
何処であろうが知ったことか。

こんなくだらん恐れなど吹き飛ばしてやる。
高貴なプライドか、失った記憶への執着心か。
本当は気づいていた。
指先に触れる冷たい石ころ―――、ただそれだけが今の自分にとっての原動力となっている事を。

~続く~

ブルマの憂鬱
真夏の早朝、アーモンド型の窓から差し込む強い日差しとは対照的に、
雷雨前の空模様のごとく冴えない顔で天井を見上げる一人の女がいた。

女の名はブルマ、この広大な土地に堂々たる居を構えたのは、
一代でカプセルコーポレーションという名の巨大企業を立ち上げ成功に導いた父ブリーフ博士である。

最新式、いやそれ以上の高性能エアコンを備えた自室のベッドに
頼りない下着一枚だけ身に着け、横たえたその美しい肢体から
やる気のない右腕が伸びる。

ベッドサイドのテーブルから飲みかけのワイングラスを拾い
だらしなく開いた口元へ運んだその時、部屋のドアが強烈な音を立てた。

ぶち破る寸前のところ、ギリギリの力でドアを叩くのはあのふてぶてしい居候男、ベジータしかいない。

「うるっさいわね!!!!今開けるから叩くのやめなさいよ、この野蛮人!!!!!」

強烈な打撃音に対抗すべく出来る限りの大声を張り上げたつもりだが思いのほかその声は届いていないようで、 男はその動作を止める気配がない。

二日酔いの頭に響く不快な打撃音に耳を塞ぎ、わずかな抵抗とばかりにシーツにくるまって現実逃避を試みるも、いともあっけなく頑丈な扉は部屋の最奥まで吹っ飛んだ。

「命拾いしたな……だらしなく寝転んでいなければ今頃壁と扉に挟まれサンドイッチとやらの具のようになっていただろう」

来訪を拒否されたにも関わらず、男は口角を上げてニヤリと笑った。

くるまったシーツの隙間から自分を睨み付ける女の姿はなかなか扇情的だ。

ベジータは己の股間がわずかに反応したことを自覚した。

「何?何の用?」

ベジータがこの家に住むようになってから今日まで、ドアの破壊行為に及んだのは一度や二度ではない。

ブルマの顔に動揺は見られなかった。

「昨日のうちに重力装置の修理をすると貴様は言っただろ、話が違う」

「……偉そうに言わないでよ。後でやっておくからどこかでブラブラして待ってれば?」

サイドテーブルから煙草を1本とろうと体をずらした瞬間、体を覆ったシーツがズルリとずれ落ちた。

部屋の空気が凍りつく。

真っ赤なパンティの両端は解けかかった紐でかろうじて女の骨盤の凹凸に食らいつき、そもそも何もつけていない上半身は、二日酔いをもろともせず朝日を浴びたパオズ山のように二つの膨らみが凛としてそこに聳え立っていた。

先程口にしたワインのせいか、いつもは青白い血管が浮き出た首元から乳房にかけてほんのりと朱色に火照りを見せている。

「き……貴様、何を呑気に煙草なんぞふかしてやがる、それでも女か」

「ここはあたしの部屋よ、あたしの勝手、むしろラッキーじゃない?こんなセクシーなカラダを視姦できてさ」

口から煙を吐きつつ、真っ赤な顔で抗議するベジータに乳首の先端まで見せつけるように胸を反らせた。

「視姦だけで済むとは限らねえだろ。さっさと服を着ろ、目障りだ」

強い非難の口調の割にベジータの目線はその膨らみから1ミリも外れる気配がない。

「あたしは今二日酔いで頭がガンガンしてるわけ。っていうか昨日もさんざんだったのよわかる?わかるわけないわよね。トレーニングにしか興味ないあんたなんかに」

怒りに任せて灰皿に押しつぶした煙草の先端が僅かに指先に触れた。

強烈な熱さに一瞬ビクッとしたその動作が、ベジータの目には軽い絶頂を迎える雌の痙攣のように映った。

人間の肉体の中で脆く敏感な箇所の一つは【あらゆる先端】だ。

指先はいわずもがな、この女がこれみよがしに曝け出している尖った乳首。

今すぐ女の動きを封じ込めその挑発的な先端を舌先で転がし、唾液まみれにして噛みちぎってやったらさぞかし楽しいだろう。

ブルマの勝気な顔は一変、 眉を八の字にして涙目を浮かべながら自分に許しを請い、心とは裏腹に反応してしまう羞恥心は、モゾモゾとくねらせる腰の動きを速めて、最後は泣き叫びながらシーツを掴み体を弓にして絶頂を迎える。

俺のモノを挿入しなくても十分女を服従させることが出来る。

ほんの一瞬の間にそこまでの妄想を膨らまして一人満足していると、いつの間にかブルマの顔が目の前まで迫ってきていた。

「あんた……今すっごくエッチな想像してるでしょ?」

ほんの僅か、ベジータの右眉がピクリと吊り上った。

「自惚れるな、俺はそんなことに興味はない。 俺が貴様に求めるのは地球人にしてはマシなその頭脳とちょっとばかし役に立つ技術力だ。さっさと服を着て重力室へ行け」

常日頃無口な男が、ほんの数秒前まで脳内を占めていた不埒な妄想を吹き飛ばすように勢いよく捲し立てた。

普段ならここでまた女特有の無意味な言い訳と、ヒステリックな抵抗が見られるはずだったが、途端にブルマは俯いて蚊の鳴くような声でボソボソと何かつぶやき出した。

「……………………」

「なんだ?聞き取れん、いつものようにキンキンと喧しい声でハッキリ発言しろ」

「あんたみたいなさ……ガキなんだかオッサンなんだかわかんない男の好みなんかどうでもいいけど……結局そこなのよね。せっかくの美貌とナイスなボディがあっても、世界有数の財力とこの天才的な頭脳が足枷になって並み大抵の男は逃げちゃうってわけ……」

先週ヤムチャと別れて晴れてフリーとなったブルマは、気分転換に周囲から不評を買っていたアフロヘアーを、ストレートに戻したその帰り道ナンパしてきた男と数回のデートを重ねていた。

そしてまさに昨夜、初めてのディナーの席で男はブルマへ早急なプロポーズを試みたのだ。

二人の間に肉体関係はまだ無かった。

ブルマはあえて自分の身分を明かさなかった。

相手も聞いてこなかったし当然世界で最も有名なカプセルコーポレーションの令嬢だと知っての誘いだと思い込んでいた。

だが違った。

男は長いこと未開発地域に住む人間の為のボランティア活動を目的に、地球の端のそのさらに端の地域に住み着いていたらしい。

そこには当然テレビなどのメディア機器は存在しなかった。

ブルマはこの純粋な男を特に愛していたわけではないが、なかなかの美男子で真面目なその性格は、ヤムチャの度重なる浮気?で乾いていた心を癒すには十分な存在になりつつあった。

だがそんな関係も昨日あっさり終焉を迎えたのだ。

ブルマの身分を知った男はただただ唖然とし、

「僕ではとても釣り合わないし、一生満足させてやれる自信が持てない」

その一言を残しブルマを置いて店を出てしまった。

そしてこの二日酔いに繋がったというわけだ。

「ばっかみたい……」

奇妙な沈黙が部屋を包んだ。

「また男か……くだらねえ……」

仁王立ちの姿勢からいつもの腕組みポーズに変えてベジータはブルマの目をじっと見つめた。

潤んだ瞳は、つい最近男が覚えた、 南都方面に佇む【海】というものに似ていると思った。

「意味わかんない。【満足させてやれる自信】って何?あたしは男に満足させてほしいなんてこれっぽっちも思ってないのに何様よまったく。このでっかい家で育ってお金持ちで容姿端麗で天才的頭脳を持ってることが気に食わないって頭おかしいわよ」

機関銃のように次々とブルマの口から吐き出される愚痴を黙って聞いていたベジータが突然口を挟んだ。

「所詮は下等民族だ、そしてその野郎はその中でもさらに下等、最下等なんだろう」

「はああ?」

「俺はむしろこの程度の家じゃやっと及第点に届く……ってところだな。設備に関してはまあまあだ……。俺の助言を取り入れたドクターの臨機応変さは少し認めよう。だがメディカルマシーンや戦闘服の再現が出来ないこんな状態ではやはり俺の満足感を得られるレベルには達していない」

「は、は、はあ?居候の分際で何様よ。頭おかしいんじゃない?」

無礼極まりない居候の発言にブルマの大きな瞳がめまぐるしく動いた。

一体この男は何を言いたいのか。

音も立てずにベッドへ移動すると ベジータはくしゃくしゃのシーツを手に取り、そっとブルマの肩にかけた。

普段は見せない男の意外な行動に、たった今投げつけてきた横柄で傲慢な発言をほんの一瞬忘れそうになった。

「全てはてめえの中に流れる血によって定められている。俺は 生まれながらに戦闘民族サイヤ人であり、その中でもずば抜けて高い戦闘力とセンスを身に着けるエリートであり、王族だ。」

生涯の目標とも言うべき親の仇?にあっさりと殺された挙句、大嫌いな悟空たちの手によって蘇生し、身ひとつで地球に飛ばされ、周囲に悪態をつき嫌われながらもあっさり人の誘いを受け入れこの家に住み着いた身寄りのない居候の分際で、これ程堂々と胸を張り自慢話を始める人間は、この広大な宇宙を探してもおそらくベジータただ1人だろう……。

ブルマは、さぞかし間抜けな顔でベジータの話を聞いているだろうな……と冷静な自己分析をしながら話が終わるのを待った。

「そしてその事実は血反吐を吐いて倒れようとも変わらない。俺はいつまでも王子でありエリートだ。今はカカロットに後れをとってはいるがほんのひと時のこと、この高貴な血は、俺を宇宙最強の男にする為に今日もこの体内で蠢いている」

「あのさ……だからなんなのよ」

理解力のない女だと言わんばかりにベジータの額に青筋が浮かび、得意の大きな舌打ちが部屋に響いた。

「つまり……貴様の運命は変えられない。そのちょいとマシな頭脳はどう足掻いても下等な連中と同等には変化しないし、財力に関してもドクターが存命な限り増える一方だろう。そして、俺にはよくわからんがその美貌とやらも俺の拳でグチャグチャに潰してやらん限りそのままだろうな」

「つまり……?」

「諦めて働け」

「あんた本当に一遍死ねば?……じゃなくてもう一回死んできなさいよ」

「わからねえ女だな。今は人造人間とかいうガラクタ共の襲来に向けて俺の為に身を粉にして働けと言ってるんだ。それが貴様が持ち得た才能とやらを無駄なく活用する方法だろう。」

真剣に耳を傾けた私がバカだったと、脱力感を露わにした横目でベジータを睨みつつブルマはクローゼットから白いシャツとホットパンツを取り出した。

「くだらん男にうつつを抜かすな。今は俺の為に日々を生きるのが賢明だ」

原型をとどめていない、ドアが取り付けてあったであろう壁の穴から抜け出るように部屋を後にしたベジータの後ろ姿を眺めながらブルマはため息をついた。

「あいつ……まるでプロポーズじゃない。イカれてるわね」

そう独り言ちると、新たに煙草を一本口に咥え、歩き出した。

その顔は、恋に破れた二日酔いの女から、天才科学者のそれへと変化していた。

空に浮かぶ太陽は先程よりほんの少し高い位置で輝き、ブルマの体を照らしていた。

END