ノンフィクション8冊感想とイラスト

今までノンフィクション本全般、ここに感想を書いたことがなかったのだが(どうしても硬い内容になりがちだし、思想が駄々洩れするし)
自分の記録用として、また、ここに書き連ねることで、誰かがその本に興味を持ってくれたら嬉しい…ってことで、小説同様、印象に残った本のみ感想を載せていくことにします(^0^)
全て読了後、すぐに読書記録アプリに書いた感想のコピペなので、やたらと暑苦しいです(^^;)
読書感想


1.『民衆暴力― 一揆・暴動・虐殺の日本近代』藤野 裕子 (著)
解説
現代日本で暴力や暴動は、身近なものではないだろう。
では、かつてはどうだったのか?
本書は、新政反対一揆、秩父事件、日比谷焼き打ち事件、関東大震災時の朝鮮人虐殺を中心に取り上げ、
日本近代の民衆暴力を描き出す試み。そこからは社会の変化や国家の思わぬ側面も見えてくるだろう。
「日本の一揆は民衆が規律を守り、過剰な暴力や略奪もない」
一般的に、日本人は自国の一揆や暴動をこんな風に考えているんじゃないだろうか。
私もざっくりふんわり…そんなイメージを抱いていた。
この本を読むと、一揆や暴動の動機や目的と行動原理が混ざり合うことで、非常に複雑な様相を呈してしまうことがよくわかる。
「警察権力に対して民衆がかくも容易に暴力を向けたことは、国家の暴力をの正当性が確立していなかった証といえる。〜中略
正当な暴力の集権化が未確立であるがゆえに、新政府反対一揆の暴力は激烈なものになった。それと同時に、
一揆が鎮圧される経験をとおして、国家の暴力が正当・正統なものとして、民衆に認知されるようになったのである。」
(p64より)
こうした状況下で美作一揆のような、民衆による民衆への殺害及び残虐行為が行われていたことを思うと憤りを感じる。
第4章は、関東大震災時の朝鮮人虐殺における国家権力の関わりの謎を解明。
関東大震災朝鮮人虐殺の一般的なイメージは
「朝鮮人が暴動を起こした、朝鮮人が井戸に毒を入れた、放火した」
これらのデマを元に朝鮮人が虐殺された、というものだが、このイメージには主語(動作主)がない、と著者。
警察と政府による誤情報流布と政府の戒厳令施行、三・一運動弾圧。
特に三・一運動後の朝鮮統治の経験者が、関東大震災時の治安維持を担っていたこと、
戒厳令施行決定を下した内務大臣が三・一運動後の朝鮮総督府政務総監であったことが強く関わっているようだ。
また、三・一運動をきっかけに「不逞鮮人」というフレーズが普及し、新聞の見出しに使われるようになったことで、
「よからぬことを企んでいる」つまり、テロリストのイメージと朝鮮人を結びつけたのでないか、と書かれているが、私はこの考えに合点がいく。
あだ名一つでその人の価値が低く見られてしまうことは子どもの世界でも多々あることで、その命名が容易であるが故に危険を伴うのではないだろうか。
司法省の「震災に於ける刑事事犯及之に関連する事項調査書」のうち罪を犯したとされる朝鮮人は140人、そのうち氏名不詳・所在不明・逃亡・死亡とされる者が約120人、86%にのぼる。
また、犯人の名前の名前がなく捕まってもいないのに朝鮮人の犯罪として統計に数えられていることが同時代にも批判されていた。
残り20人ほどのうち3人は判決確定しておらず、残る16人、15件が有罪となっている。罪状は窃盗・横領・贓物運搬などであるが、東京市だけでも震災後3ヶ月間で約4400件の窃盗があったというから、そのうちの15件が朝鮮人の犯行だったとしても、それだけで朝鮮人が暴動を起こそうとした証拠にはならない─。
朝鮮史研究者の金富子は、
日本人男性による朝鮮人の虐殺は、「想像上の「朝鮮人レイピスト」から日本人女性を守るための日本人男性による「有害な男らしさ」の発揮」であったとも指摘している。
これは、外国人による日本人女性への性犯罪や児童レイプ等には「死刑だ!」と憤るくせに、それが日本人の犯行となった途端、そっぽを向き「冤罪」「美人局」とのたまう現代社会の癌、ネット右翼そのものではないだろうか、胸に重くのしかかってきた…。
2.『トレバー・ノア 生まれたことが犯罪!?』Trevor Noah
解説
アメリカで人気風刺ニュース番組「ザ・デイリー・ショー」の司会をつとめる、注目のコメディアン、トレバー・ノア。
「分断」の騒がれるアメリカでユーモアによって新しい風を吹き込む存在として、注目を集めている。
アパルトヘイト下の南アフリカで、彼の人生は「黒人の母と白人の父から生まれた」という犯罪行為からはじまった。政府の目をかいくぐって暮らした幼少期、生き抜くために上達したモノマネ、悪友たちとの闇商売、モテなかった学生時代の淡い恋……
不条理な状況をユーモアで乗り超えていく母と子の生き様を描いた物語。
多くの人におすすめしたい、トレバー・ノアを知らない人でも関係なく楽しめる笑いあり涙ありの痛快な自伝。(帯に書かれている通り)
アパルトヘイトについて、当事者、しかも「カラード」と(勝手に分類され)、呼ばれていた彼の視点から書かれているのがとても新鮮だった。
あの残虐かつ非人道的な「政策(という名の壮絶な差別)」が「黒人差別」なんて4文字で片付けられるようなものではないという事実は、心臓をえぐられるような、えげつないものだと改めてよくわかった。
だが彼自身は白人を父に持つ混血児「カラード」として、最も熾烈な差別を受けた他黒人とは全く異なる立場にいたことを考えると、黒人差別についてのみ知りたいというのであれば他の本を読んだ方がその痛みや苦しみを知ることができるんだろうな…と思う。
ちなみに、差別政策ではなく、その時代の黒人の内面を知るという意味ではやはりアメリカで一度禁書された『ネイティブ・サン-アメリカの息子-』
をおすすめしたい。(以前Blogに感想を書いたと思う)あの作品の舞台は1930年代のシカゴではあるが、差別された黒人が「もはやそれを差別だと感じる心すら奪われる」恐ろしさがありありと書かれている。
どんな本を読んでも、どんなに歴史を学んでも所詮それは外側から眺めているだけに過ぎない。『ネイティブ・サン-アメリカの息子-』はそういった理屈を超えた、自分の持ってる道徳心や善意とは一体なんだったのか、それが何の役に立つというのか……そう打ちひしがれるような…そんな文学小説だから。
トレバーの自伝は、アパルトヘイトを俯瞰した上で、比較的サラっと書かれていて、その読みやすさがヒットに繋がったんだろう。
ちなみに途中サラっとこの時代の、アフリカ在住の日本人や中国人について触れているのだが、「日本人=名誉白人、中国人=黒人」という、歪が存在していたという…と。
この恥ずべき意識を今も引きずる日本人がいることに、思わず目を覆いたくなってしまった。
他に、この自伝の中で特に興味深かったのは、
彼らから見た「ナチスによるユダヤ人へのジェノサイド」だ。
海賊版CDで儲けていたトレバーと仲間たちが白人に招かれイベントでDJをつとめること。
彼の友人「ヒトラー」のせい(?)でイベント会場は騒然とするわけだ…そこには大勢のユダヤ人がひしめきあっていたのだから、なんと恐ろしい状況…とつい我々は思ってしまう。
トレバーたちが「ヒトラー!!ヒトラー!!」と、最高だぜ!ここでぶちかまそうぜ!…みたいなノリなんだけど、まぁ当然追い出されてしまう。このくだりを面白おかしく描けるのもさすがコメディアンだな…と、不謹慎の中にある笑いってやつで、これをドイツ人がやったらシャレにならないがトレバーに曰く、ナチスのユダヤ人迫害なんて教科書の数行で終わる話で、そんな差別の歴史なんてものはアパルトヘイトを推進し肯定している白人たちにとっては、黒人どもに学んでほしくない知識でしかない…と。
そして、ナチスは自分達の行いを全て事細かに記録しているため、あらゆる「数字による証拠」が残っているが、アパルトヘイトで直接殺された者、間接的にしに追いやられた者、人間として生活していけなくなった者、そういう黒人たちの犠牲は明確な数字で表せないからユダヤ人迫害に対してどう驚いていいのかわからない…というようなことを書いている。俺達はそんなことに関心を持てる状況下にないのだ、と。これは私のうろ覚えで、私の言葉でここにまとめてしまったトレバーの思いなわけだが、すごく印象に残っている。
勿論ユダヤ人にもユダヤ人側の言い分があるのはわかっている。ただ、あくまでトレバーたちの立場から見ると「ユダヤ人はそれでも白人なのだ」というところなんだろう。この狭い、平和な島国で生きていると、こういった人種差別問題に触れる度に驚きの連続だなと…妙な感動を覚えてしまった。
差別についてばかり書いてしまったが、この自伝の中で一番忘れてはいけない存在、トレバーの母ノンブイセロ。
この女性が本当に素晴らしく、「生きる力」や「先見の明」がとてつもないのだ。たとえば日本でバブルが弾けると予想できた人がどれだけいただろう。彼女は、アパルトヘイト(この状況)はいつか必ず終わりを迎える、そう考え、トレバーにたくさんの知識と生き方、自分はどうあるべきか、常に時代を先読みし、トレバーの世界を広げる様々な教育に力を入れた。ヤンチャばかりの少年トレバーを追い回す母と逃げ惑う息子、そんなトムとジェリーのような日々でさえ、のちに役立っている(暴漢の手から逃れるために逃走するときのスピード等々…)
この自伝は「母に始まり母に終わる」とでも言おうか、半分は母の物語でもある。
ノンブイセロは再婚相手の夫の暴力に、何度も被害届を出そうとした。
(こう書くと、とても愚かな女性のように見えるかもしれないが、そうじゃない。
ただ暴力に耐えていたわけではないし、夫の暴力も数年に一回という、とても微妙なものだった。)
だが、彼女を助けた警察は1人もいなかった。
彼ら警官は夫(エイブル)の「ちょっと妻が生意気で」の釈明に必ず「よくあることですね」と同調し、被害者であるトレバーの母を説得するのだ。
トレバーは、義父エイブルと警察官のやりとりを見て「たちまち男子会になってしまう」と表現している。
彼女が数発の銃弾を受けたのは、離婚後、トレバーの弟たち3人を彼女1人で養っていた時だった。
にもかかわらず、離婚後母に何度も銃弾を撃ち込んだエイブルは
「投獄すれば子どもを養えなくなる」との理由で執行猶予3年の判決が下り、事件後もトレバーの母の近所に住み、共同親権が続いているという。
「保守的な男は女が言いなりになることを求めるけど、そう言う女性に魅力を感じることとはない。惹かれるのは自立心のある女性だ。珍鳥コレクターと同じ。自由に羽ばたく女性に惹かれるのは、捕まえて籠に閉じ込めるのが夢だからよ。」
ノンブイセロの言葉だ。
そもそも「ハッキリとした物言いはせず、男を立て、さらに幼い感じがする女性」を好みがちな日本人男性にはあまり当てはまらないような気がするが、女性がハッキリと意見を言う外国ではこんな傾向もあるのかもしれないなと、妙に腑に落ちてしまった。
3.『ソ連兵へ差し出された娘たち』平井美帆
解説
【第54回大宅壮一ノンフィクション賞(2023年)ノミネート】
文芸評論家・斎藤美奈子氏激賞!
第19回開高健ノンフィクション賞受賞作1945年夏――。日本の敗戦は満州開拓団にとって、地獄の日々の始まりだった。
崩壊した「満州国」に取り残された黒川開拓団(岐阜県送出)は、日本への引揚船が出るまで入植地の陶頼昭に留まることを決断し、集団難民生活に入った。
しかし、暴徒化した現地民による襲撃は日ごとに激しさを増していく。
団幹部らは駅に進駐していたソ連軍司令部に助けを求めたが、今度は下っ端のソ連兵が入れ替わるようにやってきては“女漁り”や略奪を繰り返すようになる。
頭を悩ました団長たちが取った手段とは……。
言葉にならない
悔しくて悔しくて握った拳から血が出るかと思った
以前『地図と拳』という満州の関東軍を描いた小説を読み感動したが、本作を読み終わった今、あれは戦争小説というより男の視点から男のロマンを描いたある種の青春小説だったのだと感じてしまった。
90を超えた女性がいまだ夜中に思い出しては怯え、悔しさと苦しさで朝まで眠れず涙を流すほどの心の傷。
丁寧な取材の中で、どの女性も満州での生活を隠すことなく語っているが、「接待」という名の性暴力の中身となると一様に口を閉ざす。
これがまさに最近話題になった「レイプという犯罪がテーマの映画で、あえて性暴行場面の描写をボカシたまま演出する女性監督・それでもリアリティを感じる女性視聴者」と、
「ポルノのようにその描写に力を入れ、演技する女優への配慮に欠く男性監督と、それが必要なことで問題はないと感じる男性視聴者」の間に壁が生じる答えなのかな、と思った。
性暴行を「接待」と名付けることで軍平や開拓団の長たちは罪悪感を持つ必要がなく、それらを後に「尊い犠牲」と美化することに成功した。
見知らぬ屈強なソ連兵に強姦され続けた女性を待っていたのは故郷の人々からの差別だった。
それは、自分(弟)を救うため己を犠牲にしてくれた姉に対してすら向かってしまうのだから、女性差別とはこれほど根深いものなのかと…。
開拓団の日本人を救うため犠となった姉に感謝はしても、いざ自分の恋人が同じ境遇だと知ると「汚れている」と感じてしまうその感情は自分でコントロール出来なくても仕方のないことかもしれない。
でも驚くべきは、姉の手紙を読むまで自分が恋人に抱いた感情と、下した別れの決断によって姉が酷く傷ついたことに気づかないこと
さらに自分が姉を傷つけた事実を知ってもなお、恋人を切り捨てたことが正しいと思って譲らないことだ。
勿論、本書にはそうでない男性も出てくるが、彼ら(夫)もやはり妻の過去を知りたいとは思わないと言う。
「聞いてしまえば何かを言わなければならなくなる」だそうだが、黙ってただ受け入れることは出来ないものなのだろうか、妻は夫の答えなんて求めてないのに
多くの女性は性被害に遭った男性の告白に「全てをひっくるめてあなたを愛する」と言えると思う。
同じ性被害でも女性だけが「汚れ」扱いを受けるのは令和の今も変わらず、性被害に遭ったことで夫に「申し訳なさ」を感じ、卑屈になり、過剰に夫に尽くしてしまうという話はよく耳にする
過去を隠して結婚しても、敢えて隠さず結婚してもその「罪悪感」は容易には消せないようだ
なぜ?なんの落ち度もない少女が、哀れな被害者が罪悪感を覚えなければならないのか
れが女性差別でなくて、一体何が女性差別だというのか。
「ソ連兵の蛮行」の一言でまとめてしまえば、17歳の少女が強姦されることと引き換えき平穏な生活を手に入れるシステムを「推進した」自国の男たちの罪は消えるのか
消えるわけがない
日本に帰国後、開拓団の遺族会が発足された。
なんと彼らは「夫のために操を守り自決していった女性たちこそ真の大和撫子だ」とのたまったのだ。
特攻隊に涙を流し、軍部の命令の是非を議論することも許さないエセ愛国者の言う「尊い犠牲」や「英霊への感謝」に通ずるものがある。
まさに、「うすら寒い」とはこのことだ。
自分たちだけが安全地帯に居座り、他者の屍の上で胡坐をかきつつ安い涙を流し「国の為に何かを捧げた人々のおこぼれにあずかりたい連中」にとって、満州の地でその身を犠牲にしていった女性たちは都合の良い道具でありながら、他の「英霊」とは違い、消したい存在、覆い隠したい「穢れ」だった。
彼女たちを直視することは、とても居心地が悪い。
だが自分たちは「ちょっとマズイことに加担した」、だから他の女性を褒めたたえることで、犠牲者に「羞恥心」を擦り付けた。
これと同じ問題として、敗戦後、東京に設置された「特殊慰安施設協会(RAA)」の慰安所がある。
米軍の横暴から、また、治安維持と称してここれでもまた日本の婦女子を生贄に差し出した。
(これに関する本も買ったので、近々読もうと思う。)
いつの日も、国の大事や人々の人権に関わる重要事項を決定する権利を持つ権力者の男たち自身が痛みを伴わないため、全く懲りない、何度でも繰り返すというわけだ。
令和の今はそんなことは起きないと思う者もいるだろう、でも起きている。
風俗やAVはいわば「抑止力」や「防波堤」という名の生贄と言えるんじゃないだろうか。
知能に多少問題があったり、親から虐待を受けリストカットを繰り返し、行く当てもなく街を徘徊する10歳の少女が大人の甘言につられてひきずりこまれていく世界が、今も自分たちの目と鼻の先にある。そう思うとやりきれない。
4.『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』高橋ユキ
解説
2013年の夏、わずか12人が暮らす山口県の集落で、一夜にして5人の村人が殺害された。
犯人の家に貼られた川柳は〈戦慄の犯行予告〉として世間を騒がせたが……
それらはすべて〈うわさ話〉に過ぎなかった。
気鋭のノンフィクションライターが、ネットとマスコミによって拡散された〈うわさ話〉を一歩ずつ、
ひとつずつ地道に足でつぶし、閉ざされた村をゆく。
〈山口連続殺人放火事件〉の真相解明に挑んだ新世代〈調査ノンフィクション〉に、震えが止まらない─
「つけびして 煙喜ぶ 田舎者」で有名な2013年「山口連続殺人放火事件」の取材をまとめた本
夢中で読んだ…著者の視点がフラットなので村人の語る内容と事件の背景がすっと頭に入る
司法は「刑法三十九条」適用の不均衡さを今後どうしていくのか…で締めくくられているが、この本を読む事で今まで見えなかったものがたくさん見えた気がする。
273頁に書かれている、弁護人らの資料差し入れによる「鍵体験の進行」「精神疾患のない被告人による冤罪の主張」と「妄想性障害が進行している被告人の冤罪の主張」を同一視することへの懸念。
被害者遺族の心を癒す第一のステップである「加害者に真実を語ってもらい、家族の死を受け止めること」を実現する為には「まず投薬治療で症状が改善してから弁護士が資料を差し入れるべきだった」という考え、深く頷いてしまった。
だがこの国の司法が「死刑が妥当」と判断するような「有名事件」に対し、そこまでの時間と労力をかけようなどという発想を生み出せるのか、検討の余地があるのだろうか。
国内はおろか、諸外国の司法に詳しいわけではないが、このあたり欧米の方が先進的なイメージがある。
2024年、少しは改善が見られたのだろうか。
それがわかるのは、また凄惨な死刑相当事件が起きた時なのかもしれない…。
5.『虐待したことを否定する親たち 孤立する親と子を再びつなげる』宮口智恵
解説
「なんでちょっと叩いただけで、子どもと離れ離れになるの?」虐待する親のリアルと、親子関係を取り戻すためのプロセスを語る。
児童虐待と親子支援に関する入門書の様なわかりやすさ。
報道だけを見て何もかも知った気になり母親を激しく断罪し、世直しに一役買ったと思い込んでいる全ての大人が読むべき本だと思った。
虐待親、被虐待児、施設職員、それぞれの目線で捉えて書かれているため、自分の思いあがりや無知からくる偏見や誤解、足りない視点など様々なことに気付かされる
これを知っているのと知らないのとでは児童養護施設や児童相談所の存在や働きを正しく評価することなど不可能ではないだろうか…。
支援者の平行プロセスも深刻な問題だが、こればかりはAIに任せられる日はいくら待てども来ないだろうし
虐待親の心理はあまりにも複雑で、彼女らは常に敵に囲まれた状態と言っても大袈裟ではなく、虐待報道の際の世間の反応そのものが、アタッチメント対象を持たずギリギリの状態で子育てする親達に大きな影響を与えていることを我々は知っておかねばならないと思う。
そのくらい、SNSは生活と切り離せないものになってしまった
例えば、「夫の非協力の中、働きながらワンオペ育児をする妻」こんなものは日本中どこにでも転がっている話で、だからこそ誰もが虐待親になる可能性を秘めている、そういう自覚を持って皆で社会を変えていかなければ虐待はなくせない。
虐待に至る要因は勿論上述したものばかりではないし、夫から妻へのDVが原因であったり、望まぬ妊娠と出産から来る孤独だあったり親自身の生育環境だったり様々ではあるが、自分はたまたま虐待親になっていないだけなのだ、そう思って報道を見るような、ほんの少しの想像力と思いやりを一人一人が持てたらいいなと私は願う。
そしてこれは、児童福祉に従事する私自身への戒めの言葉でもある。
ところで、本書で子どもの権利で有名なコルチャックのフルネームが出てきたが、コルチャックとしか覚えておらずフルネームは新鮮w
コニャックみたいな名前だよね…。
6.『「南京事件」を調査せよ』清水潔
解説
戦後七十周年に下された指令は七十七年前の「事件」取材? やがて過去と現在がリンクし始め……。伝説の事件記者が挑む新境地。
桶川ストーカー殺人事件の本で有名な清水潔氏による、「南京大虐殺」検証のルポタージュ。
本当は『桶川ストーカー殺人事件-遺言』を読みたいのだが、あちらは事件の概要を知っていて、かなりしんどい内容なので、このルポは手が出せずにいる。
確か、ストーカー規制法制定のきっかけになった事件で、本当に、殺された被害女性が気の毒すぎて…まだ読む気になれない。
著者の清水氏は過去の中国滞在体験で「中国人はしようもない」とそう感じたそうな。
そんな人がどんな本を書くんだ?と興味津々でページをめくったわけだが…。
この手のテーマって、自分の求める結論に導くため、恣意的な言い回しや姑息な拡大解釈をしがちなんだが、この本はすごく中立な視点で書かれている。
「そもそもどうやって日中戦争が始まったんだっけ?」程度の知識で取材を始めるところがとても良い。
正直私もずーっと「あったんか、なかったんか、犠牲者は何人やねん」みたいなイメージしか持っていなかった。
ただ、2016年に出版で、まだ8年しか経っていないのに妙な古さを感じてしまうのは、表紙がくそダサイことと、中国のCAさんを「スッチー」と書いてるからかもしれないw
第一次資料に触れさらに裏付け調査を重ねる、地道ながら徐々に真実に近づいていく感じがなんとも言えない
某放送の補足的なものだが、思想的偏重が見られず読みやすく一読の価値あり。
ノンフィクションをあまり読まない人でも読める、重いテーマにそぐわぬ、ある種の軽快さを感じる本。
7.『生きている兵隊』石川達三
解説
中国戦線に取材した石川達三の小説であり、作者自身の中公文庫『前記』によると、「この稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものである」という。しかし、「あるがままの戦争の姿を知らせる」(初版自序)ともしており、モデルとなった第16師団33連隊の進軍の日程、あるいは、描写が歴史事実と一致する個所も少なくない。1938年発表。
昭和13年に発表されるも即日発禁となったルポタージュ文学。(一応小説だけど、ほぼルポでは?と思うのでここに感想を載せた。)
南京攻略戦当時、戦時協力のため派遣され何名もの作家が軍主導の言論指導に沿う形で様々なルポや現地報告をする中、
独自の従軍記を書くのだと意気込み中国戦線に従軍した著者の目論見は、決して「日本軍の悪事を暴いてやる」というものではなかったという。
実際読んでみると成程その通りだなと…。
著者の現地到着は南京攻略からだいぶ後だという事実を踏まえて読むと、よくもこれほどリアルな心理描写と戦闘描写を描けたものだなと感心してしまう。
よく言えば誇張がない(であろう)表現、悪く言えば味気ない。
それはつまり、恣意的な表現が見られない公平な視点で書かれたルポ小説に仕上がっているとも言える。
本書発禁と著者の実刑判決はいわゆる「見せしめ」であり、その効果は抜群だったんだろう
p108「敵の命をごみ屑のように軽蔑すると同時に自分の命をも全く軽蔑しているようであった。」
虐殺よりもむしろ、日本軍兵士一人一人の心理を、彼らのそばで聞いた彼らの言葉から想像し、言語化し、彼らが心の無い殺人兵器になりそうなときも必死に踏みとどまり、異常な戦時下の敵地において、いつまでも諦めがつかず「我は人なり」と足掻き続ける姿を書いたように思える。
痛々しくて悲しい文学だと私は感じた。
8.『児童養護施設施設長 殺害事件』間野まりえ 他
解説
虐待を受けた子ども、身寄りのない子どもたちが暮らす児童養護施設。2019年、児童養護施設の元入所者が、誰よりも自分に救いの手を差しのべた施設長を殺害。不可解な事件の背景には児童福祉制度の構造的な問題があった。どんな境遇に生まれようが、子どもには等しく未来があるはずだ。そんな思いで筆者は立ち上がった。NHK総合「事件の涙 未来を見せたかった ~児童養護施設長殺害事件~」をもとに執筆した渾身のルポルタージュ。
NHK報道番組ディレクター大藪謙介氏と、NHK社会部記者間野まりえ氏の丹念な取材と細かい検証等により書かれたこの本から、志半ば殺害された大森さんの想いが痛い程伝わってきた。
さぞかし無念だったろう。
病院に搬送された後の事はこの本ではわからないし搬送先病院での死亡確認も早かったようで、彼の最期の言葉が何だったのかは定かではないが、彼を殺傷しその尊い命を奪ったAが数年ぶりに施設を訪れた際、大森さんがAに向けて発した「おっ、どうした?」の一言だったとしたらあまりにも切ない。
だが、本書はこの理不尽で不幸な事件をセンセーショナルに書き立てることなく、児童養護施設や社会的養護の仕組み、問題点、今後の課題を綿密な取材の様子と共に書き記してくれている。まさに、ジャーナリズムの正しい在り方が此処に…と胸が熱くなった。
ところで、要保護児童数の推移は1990年からほぼ横ばいで、1990年と現在を単純比較してもその数に大きな差がないとはどういう事かと思ったが、かつては無視され続けた虐待やネグレクトの一つ一つがきちんと問題視され、保護されるべき児童が保護される時代になったという事なんだろう。
一時的であれ、救われるべき子どもが救われる社会環境となったことに少し安堵した。
それでも社会的養護の仕組みはまだまだ課題が山積みで、施設職員の善意頼みな状況は続くのだろう…そんな中で私利私欲まみれの政治家たちを見ていると改めて虫唾が走る。彼らが懐に入れた使徒不明の大金、あれが全て児童福祉に回れば様々な問題を解決するのに大いに役立つんじゃないか?短絡的と言われようが私にはそう思えてならないし、税金がそんな風に消えていくのが悔しくてたまらない。
そして、児童養護施設を出ていく「18歳の壁」の問題。
本書を読んでみて、あの仁藤夢乃さん率いるcolaboの活動が、親の虐待等により進学もままならぬ環境で、なおかつ社会的養護の網からこぼれた少女たちが風俗産業に向かう事をいかに防いでいるか、改めてよくわかった。彼女は、行政や各施設、相談所の限界を痛い程理解してるのだと思う。本当に多くの少女命を救っているんだなと。
本書で唯一残念なのは、わかりやすく表現するためとは思うが「援助交際」という言葉を用いてる事。
そんな言葉は社会から消滅させたい。
あれはいい歳の大人が、自分を大事にすることを親や社会に教わることなく未熟なまま肉体だけ発達してしまった少女や若い女性の尊厳を破壊する行為をしたいがために、彼女達の時間や肉体を金銭で買うという恥知らずで卑劣な行為でしかない。
振り込め詐欺の世界に身を投じた青年のパターンもそうだが、少年少女たちにそんな未来を与えぬよう社会を変えていかなきゃいけない…が本当に難しい。
でもきっとこの先大森さんの死は、ずっと意味を持ち続けるんだと思う。
そうでなければならないし、彼が残したメッセージはそれだけ重い。
国が新たな方針を打ち出すより前に、小舎制や家庭的擁護の形を重要視してきた先見の明。
それは彼と同じ志を持った多くの関係者もそうだったとは思う。でも大森さんには、周囲をその情熱に巻き込む力があり、彼自身にも人としての魅力があったんだろうな…と。
私は今、夫と子どもの人生を優先している身だが、寿命を終えたのち、もし別の人間にまた生まれ変わることができるなら、男として生まれ、生涯独身のまま救われるべき子どもたちのために生きたい。
現場で少年らの過酷な暴力に向き合うには悔しいが女の身では限界があると思う。
こちらが手を出さぬ状態のまま、男子からの暴力を防ぐのは無理だろう。
私が若い頃付き合っていた青年は一時期児童養護施設に入所していたが、親身になってくれた女性職員の結婚式前日に、あえて彼女の顔面を殴打したと自慢げに語っていた、あのときの笑顔が忘れられない。
それに、大森さんの生き方は妻の理解あってこそ可能だったのでは?とも思った。
夫も持つ妻が、血のつながらない、職場である施設の子どもにあれだけ情熱を注ぎ私生活もだいぶ犠牲にすることを許す夫や子どもは少ないだろうから。
