読書感想文
息子を持ち父親にこそ読んでほしい至極の一冊……と、出来れば読まない方がいいとんでもない本も紹介
※自殺自由法の感想文きちっと書き直した
『とんび』重松清(著) (2011)

昭和三十七年、ヤスさんは生涯最高の喜びに包まれていた。
愛妻の美佐子さんとのあいだに待望の長男アキラが誕生し、家族三人の幸せを噛みしめる日々。
しかしその団らんは、突然の悲劇によって奪われてしまう―。アキラへの愛あまって、時に暴走し時に途方に暮れるヤスさん。
我が子の幸せだけをひたむきに願い続けた不器用な父親の姿を通して、いつの世も変わることのない不滅の情を描く。
魂ふるえる、父と息子の物語。 (Amazon引用)
自分の両親が一番元気だった時代だろうか…親の年齢というのは案外忘れてしまうもので。多分この時代なんだろうなあ。
元気いっぱいの広島弁で思った事をすぐ口に出し、周囲を笑顔にしてしまう真っ直ぐな男ヤスさん。
ヤンチャで意地っ張りで照れ屋で頑固、時に乱暴で底なしに人情深い27歳、新婚ホヤホヤだ。
妻の美佐子さんがまさに時代を超えた「理想のお嫁さん像」そのものなんだけどまったく嫌味がない。
それはきっとヤスさんの愛情が真っ直ぐで、美佐子さんもまた同じ想いで繋がっているからなんだと思う。
夫婦とは一番近く一番遠い存在、ほんの少しバランスを失うと大変なことになる。
でもこの2人は「何があっても大丈夫、乗り越えて行ける」と思わせる安心感に包まれていた。
そんな素敵な夫婦だからこそ神様は美佐子さんを連れていってしまったのだろうか。
一冊の本の中でとても緩やかにとても自然にヤスさんが歳を重ねて行き、同時にアキラが成長していく。
まるで、本当に27歳のヤスさんが孫を持つまでの時間をそばで観ていたような気持ちになる。
あれ?私も今おばあちゃんかな?と勘違いしそうになるほど自然に…このお話の中の景色に、自分の意識は溶け込んでいた。
この『とんび』で私が手にした重松清作品は4冊目になる。
初めて読んだ『流星ワゴン』
綺麗事一切抜きのねじれた家族の姿に胃が潰れそうになりながら、主人公が妻や息子との時間、自分の未来に答えを出していく姿はとても儚く力強かった。
先述したように、そこには綺麗事など一切なく、ただ淡々と現実にぶちあたり、少しずつ高い壁にひびを入れていく…そんな気が遠くなるような作業。
とことんリアルにところん厳しく、そしてとことん人のぬくもりを感じさせる著者は、天才という響きが安っぽく聞こえるほど「人間」なのだなあ…と思わせる、稀有な作家かもしれない。
そして本作品『とんび』もまた、細胞の隅々まで「人間」を感じさせてくれるリアルで厳しく優しいお話になっている。
アキラの成長過程は息子を持つ親ならば「うんうん…」とうなってしまうほど共感できるし、ヤスさんの心の葛藤は恥ずかしくなるほど私の感情に訴えかけてきた。
悩み・後悔・反省・開き直り・喜び・悲しみ・困惑……許し、許され……その繰り返し、ただただ、その繰り返しだ。
アキラの思春期が、ヤスさんの中年化と重なるこの過程、親と子が徐々に近づき、徐々に逆転し、離れていく切ない感じ……他人事ではない。
母親のいないアキラ、妻のいないヤスさん、2人を見守り支える運送会社の上司や仲間、幼馴染のたえこ姉さん、親友の
照雲和尚夫婦。
全ての人物が放つ言葉が、まるで自分の近所の声のように聴こえてくる。そしてじんわりと温かい。
幼少期、反抗期…そして高校…大学…とついにアキラは大都会東京へ旅立つ。
一人ぼっちになったヤスさん……と思いきや、むしろここからまた一山二山あるのがおもしろい。
母親を幼くして失くし、父親は出て行ってしまったヤスさんにとって自分は何かを飛び越え「親」であることが当たり前になってしまっていたが、実はまだ「子どもでもあって」という事実を知る。
ろくに顔も覚えていない父親との再会。
自分が知らなかった父親の人生。
また一つ成長したヤスさんはアキラの新しい家族の誘いに対して大きな決断をする。
東京のマンションで「親父の初孫だよ」というアキラに対してヤスさんが言った言葉に涙がボロボロこぼれた。
自分はいつもダメな親父だった、失敗だらけだったというヤスさん。そんなことないよヤスさん、その言葉が言えるお爺ちゃんがこの世の中にどれだけいるんだろう…そう言ってヤスさんの背中を抱きしめたくなった。
このお話を読んで、実家の父を思い出した。
もっともっと…親孝行しようかな。
昭和、平成、令和ときて、「無駄を省く」「馬鹿とは付き合わない」「やりたいことだけやろう」「お金を稼ぐ方法」
この類の本が非常に流行っている(ホリエモン・西野なんとかさん・中田敦彦などを筆頭に…)
私はこのブームはいずれ過ぎ去り、こういう一部の成功者の言葉に踊らされた人たちの屍だけが残る…そんな荒野が想像できる。
(といっても別に彼らが嫌いじゃないし動画や本はときたま読んだりするけど)
「そうだ、バカとつきあわない、あいつも馬鹿こいつも馬鹿、金、金、成功、効率…etc」
そう盲信した人たちは自分を賢い人間だと思い込み同類たちによって遠ざけられるんじゃないだろうか。
誰もが自分を賢いと思ったら世の中はどうなるんだろう。
だったらもう人間そのものが必要なくなるかもなあ…。
賢さだったらAIや、その先に待つBIに適わないんだから。
結局人と人のかかわりや、無駄でバカなこと…邪魔なぬくもり、様々なことを…人は求める日がくるんじゃないかな。
時代は繰り返すと言うから。
地球が滅亡と再生を繰り返すように、人もまた。
『自殺自由法』戸梶圭太(著) /2007

<あらすじ>
ある日突然、日本に「自殺自由法」が施行された。
しかし、国民は相変わらずの無関心だった。それぞれの目的で、公共自殺幇助施設「自逝センター」に向かう人の群れ。
そして、それを取り巻く人間たちの思惑…。
「死ぬ自由」を得た人間たちの姿を、著者独自のビターテイストな文体で描く問題作。(Amazon引用)
どこがビターテイストじゃ!!!
戸梶圭太の小説を読んだことがない人が何の予備知識もなく読めば気分を害すこと間違いなし。
体調を崩すかもしれない。
何作も読んできた自分としては相変わらず反吐が出るなあ~、くらいの感想だが、それでも一度読むのをやめて数か月ぶりになんとか読み直しようやく読了した作品。
おそらくこれは捨てるw
一応一話完結になってるんだけど、とにかくスプラッター描写が多い。まあそれはいつものことなんだけどこの不快感はなんだろう……と考えたとき、おそらく原因は「国家の陰謀的なもの」が見え隠れするからだろうな。
自分が今まで読んだ『闇の楽園』『誘拐の誤差』『判決の誤差』『今日の特集』『見当たり捜査官』はなんだかんだと個人間だったり特定の集団のいざこざだったり…なんだけど今回はフィクション色が強いくせに自殺願望を持つ絶望した人々の描写だけは妙にリアル、そしてそんな一般市民の感情や命を弄ぶ自治体?国家??
楽に自殺させてくれる施設?『自逝センター』になんとか乗車させようとする身内だったり、政府?のやり方はぶっとんでいて現実味がないんだけど、そこにいきつくまでの人の心の描写が、まさに「人間の汚い部分だけを絞り出した」ような描き方なもんだから、読んでいるだけで
現実と妄想の狭間に迷い込んだみたいな感覚になり嘔吐しそうになる。
この本をなんとかプラス思考で解釈する方法。(なんの役にも立たない技術w)
読んだあとの不快感を消すには……
「こいつらの屑っぷりに比べたら自分はかなりの善人だ」
「こんな友達や家がそばにいないだけで自分は幸せだ」
「結局楽な死に方なんてないからなんとか生きていこう」
「政府は何の責任もとらないから期待するのはやめよう」
「くだらない流行に流されない自分に誇りを持とう」
「人の命なんてゴミみたいなものだからせめて楽に肩の力抜いて生きよう」
これを10回くらい口に出して繰り返せばいいと思う😂
ちなみに……著者もこれを書きあげた際に軽く鬱になったとかなんとか(なら書くなよw)
とにかくラストがエグイ。
救いようがない。なんという発想……でもちょっと予想ついてたかな…楽園のような場所で穏やかに死ねる…そんなおいしい話はないよね。
ただ、世界的にみると人口過多でジワジワと食糧難・資源枯渇の危機を迎えつつあるこの地球。
合理的に「価値のない人間」を始末したい…というのは権力者や上流階級の人間にとって共通の思惑なのかもしれない。
そんなことしたって、残された上流の人間達からまた「無価値な人間」があぶりだされるだけなんだけどね。
ある意味戸梶作品の中でも記念すべき一冊なのかもしれない。
