らくがきと読書感想『風の影』

なんだこの塗りは!!!!
読書漬けの日々。
自分にとって読書は空想世界旅行であり、嫌なニュースばかりなこの世界からの現実逃避であり、ストレス解消であり、
そして、本は最高にして最大の友達だったりする。
改めてそんな気持ちになった素晴らしい小説を紹介します。

風の影 (集英社文庫)–2006
上下巻 約800頁
カルロス・ルイス・サフォン (著), 木村 裕美 (翻訳)
1945年のバルセロナ。霧深い夏の朝、ダニエル少年は父親に連れて行かれた「忘れられた本の墓場」で出遭った『風の影』に深く感動する。謎の作家フリアン・カラックスの隠された過去の探求は、内戦に傷ついた都市の記憶を甦らせるとともに、愛と憎悪に満ちた物語の中で少年の精神を成長させる…。
17言語、37カ国で翻訳出版され、世界中の読者から熱い支持を得ている大ベストセラー小説。本格的歴史、恋愛、冒険ミステリー。
結論から言うと、最高でした。
もう、本当に「THE 小説」!!!
これだよ、読書の醍醐味って、この気持ちを味わうことなんだよ!と声を大にして言いたい。
まず「忘れられた本の墓場」、これは本好きの心を躍らせること間違いなしでしょう。
主人公のダニエルが、とてもとても本好きな少年で、こちらもワクワクが止まらない設定だ。
ダニエルと父親の穏やかな親子関係も味わい深く、特にこの父親がすべてにおいて素晴らしい。
そして、2人を取り囲む人々。
近所の女装癖がある時計屋店主とか、弁が立ちすぎる教師とか、個性溢れるキャラが盛りだくさん。
『オールウェイズ三丁目の夕日』のような懐かしさがあった。人と人との関わり合いが嫌味なく、押しつけがましくならない程度の温かいエピソードたち。
そして、当然この物語においては、時代背景が大きな意味を持つ。
第二次世界大戦終結の1945年、戦争が残した傷跡は甚大だった。
我々がまだ生を受けていない時代の、そしてさらに海外、バルセロナという馴染のない土地を舞台に、戦前~戦中~戦後、激動の時代を生きた人々を描いたこの作品には、過去と現代を交えながら、時のと人の繋がりが色鮮やかに映し出されている
舞台の中心は、バルセロナ旧市街地。物静かな少年が一冊の謎めいた小説と出会い、数々の不思議と遭遇しながら、やがて彼は青年へと成長する。本と、少年と、運命によって絡み合う人たちとが織りなす物語。
とても詩的でありながら、冒険的要素を含んだ王道ラブロマンスでもあり、極上のミステリーとしても楽しめるお話だ。
しかし、確かに壮大で感動的ではあるが、実をいうと、上巻100頁まで読み進めるのに私は何度も挫折しそうになった。
あまりにも美麗で詩的な情景描写が続くため、なかなか話に集中できない。
というか話が全然進まない、単調で退屈だった。
「もうやめようかな…」と本を閉じること数え切れず。
でもすごい名作だっつーしなあ…うーん……。
と、結構悩んだ末、レビューサイトに並ぶ「下巻からが本番!」といういくつかのコメントを頼りに、なんとか挑戦することができた。
そして、思っていたより早くその言葉が現実となった。
下巻とまでいかなくとも、上巻150を過ぎた辺りから「お?」っと思う展開に突入する。きた…きたぞ…と私の胸が高鳴る。
幻の作家、フリアン・カラックスそ存在が少しずつ明かされていくんだけど……。
巻末の解説によると、この小説全体で出てくる人物はなんと、100名にもなるらしい。
さすがに私はいちいち数えてはいないが、読んでいて確かに「また違う人出てきたっ!!!!」と思うことは何度もあった。
だが、カタカタの名前に抵抗感はあれど、物語の中でそれらの人物1人1人が意味を持っているので作家の力量は相当なものだなあ…と感心する。
そして、主要人物たち1人1人の人生・感情・ドラマが実に丁寧に描かれていて、それぞれに感情移入することができた。
フリアン・カラックスを取り巻く様々な感情。憎悪・愛・羨望……。
彼が生きてきた人生と重なるように、主人公ダニエルもまた必死に今を生きている。
ダニエルの成長、恋愛、友情、そういったものを追いかけつつ、一方では、絶妙なバランスでフリアンの歩んできた道、数々の秘密を紐解いていくこの小説。
登場人物それぞれが行き着く先は一体どこなんだろう……。
そんな不安と期待が入り混じった感情で、いつしか頁をめくる手が止まらなくなり、最後のページを読み終えた。
上巻数ページで脱落しそうになっていた私が、気がつくと声を出して泣したこともあった。
「あの時こうしていれば…」「あんことをしなければ」、反省や後悔、諦めや未練……そういうことの連続、それが人生ではあるけれど、この小説に出てくる人たちの弱さと儚さ、それでも突き進む強さ、なくしても取り戻そうとする優しさ……そのすべてがたまらなく愛おしいと思えた。
表面には映らない、誰もが持つその人の秘めた想い。
血なまぐさい展開を見せつけられても、最後には「愛も憎しみも持ち合わせる人間は美しい」。
不思議と、そんな風に思わせてくれる、素敵なお話でした。
小説っていいなあ~。
さてさて、子供の頃母親が持っていたエドガー・アラン・ポォの『黒猫』、かなり衝撃を受けた記憶があり、突如また読みたい!!!と思い立ち、買おうと思ったら、さすが名作、何種類もの本が出ていて、掲載されている短編の組み合わせも違ければ翻訳者も違う。
ということで図書館に赴き実際読んでみてから決めることにした。といっても図書館に全種類あるわけでもなく…借りることができるものだけ3冊借りてきた。そのうち2冊に『黒猫』が収録されている。
何十年ぶりのポォ作品……雰囲気味わいたいな~…どっちで読もうかな。
ひとまず巽孝之の訳と、中野好夫の訳を『黒猫』冒頭文で比較
これからわたしは、どこまでも悪魔としか思われないのにごくごく日常的に体験してしまった事件を記録すべくペンを執ろうとしているのだが、その中身をめぐっては、信じてもらえるとも信じてもらいたいとも思わない。そもそも私の五感のすべてがその知覚対象をしんじられなくなっているのだから。読者に期待する方がおかしいだろう。だが、じつのところわたし自身は精神に異常をかたしているわけではない—-それに決して夢をみているわけでもない。
『黒猫・アッシャー家の崩壊―ポー短編集I ゴシック編』(新潮文庫)
エドガー・アラン・ポー (著), 巽 孝之 (翻訳) より
いまここに書き留めようと思う、世にも奇妙な、また世にも単純なこの物語を、私は信じてもらえるとは思わないし、またそう願いもしない。そうだ、私の目、私の耳が、まず承認を拒もうというこの事件を、他人に信じてもらおうなどとは、まこと狂気の沙汰とでもいうべきであろう。しかも、私は狂ってはいないのだ—-夢を見ているでないことも確かだ。
『猫/モルグ街の殺人事件 』(岩波文庫 赤 306-1)
ポオ (著), 中野 好夫 (翻訳) より
次に巽孝之と小川高義の訳の『アッシャー家の崩壊』を、冒頭文で比較
季節は秋、日がな一日、気怠く暗く静まりかえって、空から雲が重苦しくたれ込める中を、わたしはただひとり馬に乗り、無類なほど鬱蒼とした地方を旅していた。そしてとうとう、夜のとばりがあたりを包むころ、陰鬱なるアッシャー家の屋敷を一瞥するやいなや、度し難いほど暗い気分が心に染み込んだ。いま「度し難い」と言ったのは、ふつうの人に目の前に拡がる自然風景がどれほどひどく荒凉とし凄絶なるものであっても、たいてい受け止めることができるものだが、このときわたしが感じたこの気分は、そうした知的な処理をいっさい許さないたぐいに属していたからである。目の前の風景を追いかけてみよう。まず、アッシャー家の屋敷そのものがあり、その領地の輪郭自体は簡素なるものだ。しかし寒々とした壁や虚ろなる眼にも似た窓、繁茂するカヤツリグサ、それに朽ち果てた樹木の白い幹のいくつかに視線を移していくと、えもいわれぬほどに魂が沈み込んでいくのがわかる。この絶望を何かしら五感の領域で説明するのはできない相談であり、それこそ阿片幻想から醒めたあとの気分にでもたとえるしかない。それは、あたかも日常世界へと落ち込んでいく感覚であり、禁断のベールがおぞましくも剥ぎ取られたときの感覚に等しい。
『黒猫・アッシャー家の崩壊 ポー短編集』ゴシック編
巽孝之 訳 より
その年の秋の日に、雲は空に重苦しいほど低く垂れ込め、あたりは鈍い薄闇に包まれて音もなく、ただ一人馬に乗る私は、この異様に荒んで広がる土地を、ひたすらに進んでいた。そして、ついに夕暮れの影が色濃く迫る頃合いに、あの陰鬱なアッシャー家の館を見るまでになった。どういうことか今もわからないが、まず館を目にした瞬間から、耐えがたいばかりの暗澹たる気分が私の精神に染みわたった。そう、耐えがたいというのは、この感覚にまるで救いがなかったからだ。およそ自然界の形像を心に受けるとしたら、その凄まじきもの恐ろしきものを、いかに厳しく見せつけられたとしても、どこか詩的であるがゆえに半ば愉悦でもある情緒に救われるものだ。私が目にした光景は、屋敷そのものと、ただ殺風景な土地、また吹きさらしの壁、うつろな目のような窓、ひょろひょろ伸びた菅の草、立ち枯れそうな白い木の幹、というものだが、これを見ていると魂にずっしりと重みがかかり、もし現世にたとえるものがあるとするなら、阿片の中毒者が夢から醒めきらず、いつも現実に戻されることが苦々しく、目の前が晴れてしまうのが厭わしいとでも言うしかないような憂鬱を覚えていた。
『アッシャー家の崩壊/黄金虫』
小川高義 訳 光文社文庫 より
