読書感想3冊
読書感想
人間の運命 単行本 – 2009/8/29
五木 寛之 (著)

解説
運命とは何か。 運命は変えられるのか。 五木寛之の思想の到達点にして人類の生きる希望を高らかに謳う,永遠に誰しもの心に刻まれる一冊。
実は初めての読む五木堅苦しくない「五木寛之が到達した究極の人間論」という帯の文句…これは何か違うな、と。
到達していない、等身大の自分を正直に書いたエッセイであって、そんな仰々しい内容では決してなかった。
冒頭から始まる戦後の壮絶なエピソード、ここだけでも読む価値がある。
「悪人」とは「運命」とは………という著者の考えは12歳だった五木少年が原点となっているようだ。
老いてもなお、「運命」について思索を続ける著者、まったく説教臭くならずましてや若者を激励するような綺麗なことも書かれていない。
(2021年現在は89歳)
人の力ではどうにもできない、自分の努力ではどうにもならないことがある。
それを、著者は「両親から産まれたこと」そのものを変えられない「運命」と言う。
勿論両親への恨みつらみなどではない。生きているとたくさんの「運命」の壁にぶつかる、という喩えとして挙げているわけで、
その運命を変えることは出来ないが、そうやってそれと付き合っていくのか……自分はそれを考え続けている、と言っているのだ。
また、「変えられない過去」をも自分の「運命」とし、ではそれを消すことは出来なくとも
現在をどう変えていこうか、という前向きな内容でもある。
ナイーブなテーマではあるが、文章に堅苦しさはなく、とても読みやい。
故に、これは何度も何度も読んで噛みしめる類の本だな…と感じた。
華氏451度 –1975
レイ ブラッドベリ 宇野 利泰 (翻訳)

あらすじ
華氏451度──この温度で書物の紙は引火し、そして燃える。
451と刻印されたヘルメットをかぶり、昇火器の炎で隠匿されていた書物を焼き尽くす男たち。
モンターグも自らの仕事に誇りを持つ、そうした昇火士(ファイアマン)のひとりだった。
だがある晩、風変わりな少女とであってから、彼の人生は劇的に変わってゆく……
以前Blogに感想を書いた『火星年代記』のレイ・ブラッドベリの名作。
古典SF小説…なんだけどこれ文学小説でもあるんだろうな…よくよく考えると『火星年代記』も古典SF文学だな…。
尻切れトンボな終わり方のような気がしないでもないが…とにかくまぁすごい台詞がたくさん飛び出してくる名作です、間違いなく名作!
珍しくノート片手にメモしながら読んだ。
特に印象深かった台詞を抜粋してみよう。
「黒い民族は゛リトル・ブラック・サンボ゙ ゛を好まない、だからそれを焼いてしまう。
タバコと肺ガンについての書物を書いた奴がいる。タバコのみはそれを読むとがっかりする。そこでそいつも焼いてしまおう」
現代社会の過剰な「平等主義」「不謹慎狩り」を思った
「国民には記憶力のコンテストでも与えておけばいい。
それもせいぜい流行歌の文句、州政府の所在地の名でなければ、アイオワ州における昨年度のトウモロコシの生産量はいくら、といった問題がいい」
クイズ番組だらけの地上波放送、東大生なんちゃらという「記憶力を競え」の風潮を思い出させた。
「不燃焼の資料を頭にいっぱいにさせ、うんざりするほど≪事実≫を詰め込んで窒息させてしまうことだな
~中略
そうこうしてるうちに、国民はそれぞれ自分も相当の思索人だと思い込んでしまう。動きもしないのに動いているような気持ちを意識してくることになる。それで彼らは幸福になれるのだ」
情報化社会、SNSの普及により、頭の中は情報のゴミ溜めになりがちな現代人。
何かに抗議して、既に誰かが吐いた意見に賛同し、さも自分が考え出し動いたかのように錯覚し悦に入る人間への皮肉か。
何十年も前の本とは思えぬ内容。
「我々がものの本質を知らなくなってから久しい、では本質とは何か?それはものの核心を意味する。それをのぞかせる気が書物のうちにある
~中略すぐれた著者は、生命の深奥を探り当てる。凡庸な著者は、表面を撫でるにすぎん。劣悪な著者になると、ただみやみに手をつけてかきまわすだけのこと。で、あとはどうなれと捨て去ってしまうんです」
ショーペンハウアーが名著『読書について』でも同じようなことを語っている。
溢れ返る自己啓発本、論文からの引用に著者独自の視点はさほどなく、論理破綻もなんのその、安い居酒屋の焼酎のように薄めて薄めて数を作り出し金儲け。
なんとも、メンタリストDaiGo氏の顔、ホリエモンとかそこらのサロン系タレント(実業家?)の顔が真っ先に浮かんでしまったw(DaiGoの片付けの本はかなり良かったけど
★メモを元に自分なりのまとめ
欠けているもの
1)ものの本質 ≪知≫の核心
2)閑暇(1を消化するだけの閑暇を持つこと)
テレビは≪直接≫そのもの、直接的であり大きさを持つ。あまりにも素早くあまりに強引に結論を押し付けてくるので誰もがそれに抗議しておる余裕がない。
「こう考えろ」と命令してくる。正しいことであるはずだ、そう思うと正しいように思えてくる。
3)1,2両者の相互作用から学びとったもにに、基礎をおいて、正しい行動に出ることにある。
他ページから抜粋
「人は涙や悲しみが必要」
p206より
「ビューティーは死にたがっていたのだ」p142
「何がゆえに書物が怖れと憎しみの対象になるかもおわかりになったと思う。
人生という顔の気孔をもっているからで、安易の世渡りだけを望んでおる人たちは、蠟のような月面のような気孔なんてもののな無表情の顔をよろこぶものだ」P263
「花の咲き誇るときにだけ生きて、それが雨と黒色の肥土の力で生育するさまのことは考えようとしない。
~中略我々はいつも花であり、花火であると思い込んで、いつかまた地上の現実に還元され、それによってはじめて周期が完成する事実を知ろうともしない」
「表紙だけ見て書物の価値を決めなさるな」
「人間である以上、死ぬときは必ずあとに何か残していくべきだ」
社会全体への警告でもあるが、「本を読まないと人はバカになる」という著者の偏見を惜しみなくぶつけた一冊であるから、読書が嫌いな人には相当頭にくる小説かもしれない。
原爆に関する台詞を私は許容できない、非常なは不愉快だった。
しかしながら、紛れもない名作、大傑作だと思う。
主人公のモンターグとビューティー署長が対照的なキャラとして描かれていて素晴らしい。
若い頃ならビューティーへの嫌悪感を抱いたまま終わっていると思う。
しかし、彼は聡明だった、賢かった、思慮深い男だった…ゆえに、ああいう結末を迎えたわけだ。
モンターグとビューティー、時代が違えば二人は良き上司と部下、タイプの違う親友にもなれたかもしれない。
モンターグの覚醒は周囲に混乱を招いた。
禁じられた本(詩集)を朗読するモンターグ。
感極まり思わず泣いてしまったフェルプス夫人、憤怒したボウルス夫人。
それぞれに押し殺していた悲しみの感情がここにも見える。とても良いシーンであり、モンターグの軽率さが浮き彫りになった場面でもある。
最後にその詩を引用する。
誠実の海
かつては潮みち、大地の岸をめぐり
折り目なす帯の煌きを見せし海。いまは聞く、暗きとどろき、
荒涼たるこの世の果てに、
裸なる小石の浜に、
夜風とともに
遠ざかりゆく陰鬱な唸り
エンジェル (集英社文庫)– 2002/8/20
石田 衣良 (著)

あらすじ
投資会社のオーナー掛井純一は、何者かに殺され、幽霊となって甦った。
死の直前の二年分の記憶を失っていた彼は、真相を探るため、ある新作映画への不可解な金の流れを追いはじめる。
映画界の巨匠と敏腕プロデューサー、彼らを裏で操る謎の男たち。そして、一目で魅せられた女優との意外な過去。
複雑に交錯する線が一本につながった時、死者の「生」を賭けた、究極の選択が待っていた―。
主人公の純一が、ああ、気持ちいいな~と空を浮遊する場面から始まる。
おやおや?なんだここは?2人組の男たちにとって、誰かの遺体が土に埋められてるぞ…?
歯がおられていて一瞬顔面は別人に見えるがよくよく見れば「これ俺じゃん!!!」
という、幽遊白書ばりのファンタジー臭が漂うオープニング!!
戸梶圭太の『誘拐の誤差』も殺された少年が浮遊してたっけ……。
自分はどうやら幽霊らしい、意外と早くその現実を受け入れ彷徨う純一。
過去2年間の記憶をごっそり失っており、何故自分は死んだのか調査を開始。
途中、同じような霊(爺さん)に遭遇、ちょっとした技を教えてもらったりと、師匠のようだw
その爺さんの存在が消えてしまった時、この小説のオチが完全に読めてしまった。
大抵の人は気づくよね、むしろ気づかないなら幸せかもしれない(ラストで驚けるから)
しかし、そんなベッタベタ王道まっしぐらなラストを書いた著者の心意気は天晴だと思う。
あれより綺麗な物語の終わり方はないだろう。
美しい女性に一目惚れするも、あれやこれやとトラブルが起き、
純一を殺したと思われるヤクザが彼女までも始末するという。
奴らに姿を見せて脅すも、「結局霊なんて直接何かしてこれないだろ?」という返り討ちにあう。
なんやかんやあって、彼らへの妨害は成功、黒幕はまさかの……(ここも全く意外性はない)
そしてさらに「彼女は普通の女ではなかった」というさらなる衝撃事実が!
と、なんだか真保祐一の『奇跡の人』のような展開(ただしあそこまで主人公はクドくない、未練たらしくもない)
あまり大きな見せ場もなく、単調ではあるんだけど、主人公の純一が地味ながら応援したくなるキャラでもあるせいか、
そこそこ楽しめたかな。
サクっと読めて、ちょっとホロリする読みやすい小説でした。
